November 12, 2010

結婚披露宴のスピーチ(原稿)

この週末は職場の若いカップルの結婚披露宴がある。職場で出会った二人が結婚し、新しい家庭を築くということは本当に素晴らしい事だと思う。僕は何にもやってないけれど(笑)、彼らの人生の出会いの場を作ったことに関しては、喜びとともにある意味責任を感じる。二人ともバランスの取れた素晴らしい人柄で、誰がみても素晴らしいカップルなのだ。きっと素晴らしい家庭を築くだろう。それを確信しているものの、僕の立場上希望に燃えるこの若いふたりへのお祝いの言葉をスピーチするということで、ちょっと辛口のメッセージを伝えることにしよう。

男と女は「まったく違った感性と価値観」で生きている。だから同じものを観て同じ言葉を聞いたとしても、感じ方が全然違うのだ。惚れたはれたの恋愛の時間には、相手の事を必死に判ろうとするし、結婚した当初はすべての物事を一心同体で進められるはずだという「幻想」を信じているかもしれない。でも、そこがそもそもマチガイではないか?と思う。

恋愛は「個人的なもの」で、結婚は「社会的なもの」なのだ。

男と女では、同じものを観たり聞いたりしても「まったく感じ方が違う」。「まったく違う生き物なのだ」という所からスタートすることが大切なんじゃないかと思う。共同生活をする上で、さまざまな価値観を共有するのは大切だ。でも、本当に「価値観を共有」できているかどうかは実は大いに疑問で、お互い「その違いを判り合おうとする」の努力をすることで「なんとかうまくいくもの」なのだと思う。

(男も女も、お互い)理解不能の火星人(でも土星人でもいいけど)と一緒に、この先何十年も一緒に生きて行くことが「結婚生活」であるのだということを、早い段階で知っていた方がいい。幸せの絶頂に居る二人には酷な言葉かもしれないけれど。

僕とかみさんは結婚してから、そのことをお互い理解するのに10年はかかった(笑)。理解した筈でも26年経ったいまでも日常生活の中で時々喧嘩するのだから・・・でもそんなものです、結婚って。不完全で未熟な若い男と女が一緒に暮らすんだもの、いろんなことがあって当たり前だと思う。たぶん、自分たちを育ててくれた両親も、その両親を育ててくれた爺さん&婆さんも、その爺さん&婆さんを育ててくれたくれた、ひい爺さんん&ひい婆さんも、そんな教訓を得て子育てをしていたのだと思う。男女の違いを判った上て、お互いを思いやる心があるかどうか?それが(エラそうな事を言えば)結婚生活なのではないか?と思う。

だ・か・ら・・・こそ、今日結婚した若い二人は、ご両親に出来る限りの親孝行はしなくてはいけないのだ!

そんな話をしようと思う。