今朝の産經新聞によると、中国で資産1千万元(1億3000万円)を越える資産家は2008年時点で82万5千人いるそうな。共産党独裁での経済開放政策下の中国での話であることに、まず驚いた。まさに格差社会。
ちなみに、野村総研の統計(2007年)によると自由主義経済社会の日本では「2007年時点で金融資産を5億円以上保有する世帯「超富裕層」、及び1億円から5億円の世帯「富裕層」をあわせた「富裕層・超富裕層マーケット」は90.3万世帯、金融資産総額は254兆円に及ぶことが明らかになった。これは全体に占める割合としてはそれぞれ1.8%・21.6%に相当するとのこと。
中国の「資産1億3000万円」と日本の「金融資産1億円」という定義の違いはあるとしても、現在は「そのくらいの差」しかない、ということに驚いた。ただ中国社会の「富裕層」とは、、ベースとなるパイ(人口=マーケット)の大きさが中国は日本の少なくとも6倍あるということと、実際の貨幣価値から言えば日本の消費社会の5倍(位だろう、今なら)ということを加味すると、5X6倍=30倍くらいの「余裕」があるはずということになる。したがって、その影響力が今疲弊した日本の経済に及ぼす影響って、大きいものなんだろうと思う。現在、四苦八苦している日本企業が中国に目がいくのは当然で、日本の産業の空洞化も自明のことなのだ、ちょっと寂しいけれど。
とはいえ、今日こーめい先生と話をしてて、それでもまだ日本には「トンでもない(前述の統計に含まれていないような)超金持ち」がソコココ居るのだということも、再確認した。先日彼の招かれたあるお宅の話を聞いていて「なるほどなあ」と。つまり、自由主義資本の日本社会においては、まだまだ「あるとこにはある」ということ。でも、(僕らの知っている)その人たちが、ほとんど例外なく皆「あまり幸せそうにしていない」という事実。これは、たぶんかなり深刻な問題なんだと思う。
最近読んでいる「これからの「正義」の話をしよう:Justice」(by Michael Sandel教授)でも言及しているように、「正義のある社会」においては「超・お金持ちである事=幸せな事」ではないらしい・・・、つまり「幸せの度合いはお金では計れない」という、結局は「童話的な単純明快な結論」に至るのだけれど。「今以上に豊かになるために一所懸命努力することを是とする」自由経済の社会において、これらの逆説的な結論に、持たざる僕らは愕然としてしまうわけだ。逆に(建前とはいえ)共産主義の中国においては「嘘をつく事や何か人を騙すような狡い事をする事」が、経済的な成功に結びつく事になる。共産党政権の特権階級は蜜の味を享受しているんだろう。そのくらい中国という国は現在から未来に向かって、危ない橋を渡っているのだ。このままでは「革命」が起こるのは歴史の必然かもしれない。
人間は何のために努力するんだろう?
「いつの日か宝くじ当たったら、あーしてこーして・・・」なんて夢見ている僕ら庶民の夢があって、たとえそれが幻想だとしても、そんな「庶民のささやかな夢のベクトル」で、世の中は動いているものなんだと思う。日々の生活を頑張ることで得られる満足が、それの対価としての報酬に見合ったものであれば、それで十分なのかもしれない。
足るを知る。英語でいえば、You can not have everything! という事だ。