April 13, 2010

慈母と厳父という時代

子供の教育環境という観点での両親の理想型として「厳父と慈母」がある。厳格でしっかりした信念をもって子供に接する父親と、日々の生活の中で愛情に溢れて子供をやさしく慈しみ育てる母親というカップル。うむ、たしかにイメージとしてはある。

一昔前までの日本の(というか外国でも)家庭(夫婦)像として、どの家庭もそれを目標としていたように思う。うちの両親やかみさんの両親も、かつてはそのサブタイプであったと思えなくもない。なぜ「思えなくもない」と書くのかというと、その当時でもそのくらい実際には簡単ではなかったはずだから。昔の基準に照らして今自分たちを含めて振り返ってみると、僕もかみさんも、全然基準外(笑)だったと思う。つまり僕は「厳父」でもなければ「慈父」でもなく、かみさんも「厳母」でもなく「慈母」でもなかったと思う。それほどの覚悟も信念もなく若い二人が親になってしまい、時間だけが経過して今に至ってる(笑)。自分達も含めて僕らの世代の親っていうのは「それほど厳しくもなく、それほど優しくもない」「だた子供に甘いだけ」の「友達みたいな」親がほとんどだ。そのくせ、親の「気分」で怒ったり叱ったり褒めたり教えたりするもんだから、子供も混乱するよなあ(笑)。彼らがほぼオトナになった今となっては、ずいぶんひどい叱り方や褒め方をしたもんだ、と反省しきりなのだ。とはいえ3人とも、それぞれ道を外れることなく、まあまあ「まっとうな道」を進んでくれたので、それで(それだけで)善しとすべきなのかもしれない。

先日の「我が家の歴史」を思い出して、あの時代には普通であった家庭教育の価値観も、時代とともに変容してきていることを実感する。それにしても、彼ら子供達が親になる頃には(考えてみればそんなに遠い将来ではなく、もうすぐだ)、どんな親になるんだろうか?