January 3, 2010

葬式仏教徒

今年はモロに喪中ということで、正月らしいことも一切なしの三が日。ま、こういう静かな新年の休日というのもそれなりにいいもんだ。ただし、やる事と今後やるべき事は山積しているので、明日からが大変なわけで、その準備に忙殺された。今日はリストを確認し、伊東屋で挨拶状の印刷のオーダーやら高島屋で買い物、位牌についてのネットで情報収集したり、などなど。位牌一つとっても簡単には決められないものなので難しい。帰りにジムにより1週間ぶりに泳いだ。考えてみれば1週間前の日曜日には通夜をやっていたんだ。なんだかすごく昔の出来事みたいな感覚なんだけれど。

出来るだけ簡素に人に迷惑をかけない葬式を望んでいた故人だったので、それを尊重して密葬としたものの、亡くなってから葬式までの限られた時間の中で、葬式というセレモニーをするのはなかなか大変だった。葬儀屋さんにしても斎場の人たちも現代風にかなり明瞭会計にはなっているものの、シンプルにしようとすればするほど、悩む問題が多い。家はもともと臨済宗で菩提寺は名古屋なので、その関係をこの場合どうするか?戒名をどうするか?坊さんはどうするか?親戚一同がそれなりに納得できるものにするにはかなり調整が必要だった。日頃から心情的には仏教を「あるひとつの宗教として」親密感をもって接していたとしても、僕はいわゆる仏教徒としてのお務めとか菩提寺との付き合いをしているわけじゃない、いわゆる「葬式仏教徒」なわけで、こういう事態になって初めて事の重大さに気付いて呆然&唖然とする場面が多く、ビジネスとしての葬儀のプロ達からしてみれば赤子の手を捻るがごとくナイーブな喪主なんだろうな(笑)。まあでも、列席した親族がそれなりに満足納得してもらた葬式にすることができて、ほっとしている(まあ、今のところ、だけれど)。

セレモニーのとしての葬式仏教は、残された親族のためにあるのだね。これを期に「自分の信じる宗教としての仏教」をちゃんと勉強してみようという気になった三が日だった。明日からは忙しい日常が待っている。ふう。