マックと初めて出会ったのは1984年。当時僕はNECの80シリーズを初めて買った頃。ハドソンのRPGの黎明期で、一画面変わるのに数分かかる(爆)時代。メモリーが64Kくらい。メディアは磁気テープのカセットだった。AMIGAのゲーム用のPCがものすごく斬新だったけれど、新しいもの好きの友人の¥に遊びに行った時に観たApple IIの画像のきれいさにと速さにぶっとんだのだった。当時の値段でNECが50万くらいだったけれど、AppleIIは確か80万位していたと思う。
1985年からのアメリカは、まさにPCの夜明けの時代。僕の居た病院にもIBMのXTとかATが「ただ」で配られ、パソコンのスタンダード覇権をとるための熾烈な戦いが始まった所。1985年当時使ってたのはBASIC。そのうちにL-DOCというDOSがLAでは流行った。Tandy-Radiosharkという安売り家電メーカー(のちにIBMに吸収合併)のものだった。今考えてみると、ビル・ゲイツのMS-DOSの黎明期だったんだ。当時のプライベートのPCはTOSHIBAのラップトップで、液晶の画面はオレンジの単色。画期的に速度が速く、アメリカ国防省のシステムに標準装備されていたもの。汚職でこの話はおじゃんになったんだ、たしか。でも当時としては最高級のラップトップの名機で、アメリカ時代の安月給でたしか2ヶ月分近くの給料をはたいて買った。その当時、研究室で時々見かけるオシャレなハコ。これがマックのクラシックだった。このマシンのユニークなところは、他言語に対応することとユーザーフレンドリーなOS、さらに当時から遊び心があってオシャレだった。でも、僕には大枚をはたいて買ったTOSHIBAがあり、自前のアップルを購入することなく帰国した1988年。
当時の研究生活での文章作成は、当時はもっぱらワープロ専用機。シャープの「書院」とかソニーのワープロ専用機(Produceだっけ?)、研究データの集計や統計処理にはパソコンという形式だった。この形式で博士論文を提出した。1990年、さらに進化したマックを購入。初めて買ったマックはCX、さらにハマってFXを衝動買い。学会や研修でアメリカにいくたびにアップルのディープなソフトを買ってきた。パソコン通信にハマったのも当時からかな。
その後、縁があってニュージーランドへ。マックのPowerBookを持って行ったのだけれど病院のほとんどがWindowsのため、やむなくふたたびWindowsに宗旨かえ。でもこの頃の「宗旨替え」っていうのは、アメリカをはじめとして世界各地で起こってた事みたいだ。今でもしばしばジョークでやっている「宗旨替え」の喜悲劇。
I don't want to "rattle your CAGE"!
ここで「ぎゃははは」と皆で笑う意味が判らなかったな、当時。
さてニュージーランドで帰国してからは日本ではもっぱらWindows.
長いものには巻かれた10年だった。2007年ころからアップルの元気が出てきて、自宅ではマックとウィン併存ということになって、最近ではマックへ移行しつつある、ってわけだ。