August 19, 2009

文字情報はストック型コミュニケーションの本道

文章などのテキスト情報は、文字と文章を人類が持って以来の進歩の過程そのものが、ストックされること想定したものであるから、フロー型のコミュニケーションに本来は「一番遠いもの」であるはずなのだ。従来の知識の源である「本」は、まさにストック型情報の象徴的存在だろう。僕が最近流行のTwitterなどのフロー型のメディア・コミュニケーションにおいて「居心地の悪さ」というか「座りの不安定さ」を感じる最大の原因は、本来ストックされるべき文字情報を「垂れ流す」という事に対する、嫌悪感や不安感にある気がする。とはいえ、これは個人の好みの問題かも。僕は「電光掲示板的な文字情報の流れ」についていく事が苦手なのだ、もともと。

あ、そうか、だから今の段階では短い文章の「つぶやき」が世の中の最小公倍数的な認識というか、許容範囲の限界ということなんだろう。

本来、フロー型のメディアコミュニケションにもっとも似合うのは、「音声」とか「動画」情報ということは自明だと思う。音声情報とか動画などの映像情報は、もともと「消えてなくなることを前提とした刹那的なもの」なのだ。技術的な問題をクリアする事は、近い将来実現可能だろうから、そこに新しいメディアが登場する余地はある。つーか、世界中の人たちがほぼリアルタイムで「音声」「画像」「文字情報」を自然に容易に日常的にアップするという世界が出来るだろう。換言すれば、まだまだ情報発信という観点からは敷居の高いYOUTUBEが過去の遺物となる世界は、すぐ近い未来にあるということなのだ。

でも、その新しい世界では、自分が遭遇した(莫大な量とスピードで流れる)情報に対して、的確に反応する瞬発力が必要ということで・・・。老眼になり動視能力の衰えつつある僕らの世代には辛いかも(笑)。

もう少し考察を続けてみよう。