アカデミックキャリアをひた走ってアメリカに留学していた頃のこと。1986年、メキシコのプエルト・バジャルタの国際学会で初めての口演発表。その頃はわりと尖って日本を飛び出していたから、日本からの参加した教授たちには「甘く見られたくない」という意識が強かった。発表は大成功でそれなりの評価を得る事が出来た。日本語をあえて一切封印したりして(若気の至りだ>爆)突っ張っていた。
この学会でお会いしたのが、T大学のT教授、N先生(後のT大学教授)、J大学のS教授、K大学のI教授、N大学のM教授とA助教授など。彼らは既に世界レベルでのビッグネームで(手術法とか手術器械に彼らの名前がついていた位)、医者になってまだ5年目になったばかりの僕にとって、雲の上の人達だった。でも学会の日程が進むにつれて、日本を飛び出して孤軍奮闘している若いチンピラの僕のことを、彼らはとても可愛がってくれて、学会のその他の国の重鎮たちに僕を紹介してくれ、その後のアメリカでの研究生活や、ニュージーランドやイギリスでの医者として生活する助けになった基礎がこの学会で作られたといっても過言ではない。
その先生方が、学会雑誌の記事から2007年から今年にかけて、皆亡くなられたという。23年前だから、当時の彼らはまさに今の僕の年齢くらいなのだという驚き。当時の彼らは、その自信と風格があったなあ。そう考えると、いかに今の自分が未熟で落ち着きないか・・・。
合掌