今日両親から大事な相談があると言われ久しぶりに見舞いに行った。こまごました相談事や心配事は、そんなに緊急性のある事でもなく対処可能なものばかりで一安心する。ただ、困ってしまったのは我が家の墓のこと。もともとのルーツが伊勢で、名古屋に出てきたご先祖様からはじまる墓(由緒ある八事霊園にある、ものすごく立派な墓)なのだけれど、やはり地理的にそう簡単に墓参りできないし、そろそろあの世に逝く準備をしなくてはならない両親からしてみれば心配の種なんだということはわかる。でも簡単に引っ越しする事も出来ず、どーしたもんか頭を抱える。
そもそも墓ってなんなんだろう?ご先祖様を敬い礼節を尽くす事は、もちろん大切な事だとは思うし、そのことに全然異議を挟む余地はないだけれど。この墓の家系を僕のDNAのルーツでをたどれば、ざっくりといって1/4でしかないわけ(医学的にはもっと少ない)。つまり3/4のルーツについては儀式的・社会的ルールという便宜上は「ほとんど無視」に近い扱いで、ずいぶんと失礼していることになる。それもやっていたら世の中法事だらけになってしまう(笑)。曾祖父曾祖母のことはかすかに憶えているが、その先の「ご先祖様」のこととなると、もう心情的には理解困難な、血縁の象徴的な存在になってしまう。逆に「ご先祖様」たちからしても自分のひ孫より先の世代については「もうわかんねー。勝手にすれば」ってもんだろう。具体的に想像すれば、ウチの娘が生んだ子ども(つまり孫)の子ども(つまり曾孫)の、その子ども(玄孫)についての責任は持てないってことですね。つまり、せいぜい自分から数えて3世代が「血族的親密性を持てる」限界なんだと思う。それが解っているから逆説的にいえば「墓」というシンボルが必要なんだろうな。
ということで、近いうちに名古屋に行く用事が出来た。ふー、やれやれ。
僕自身は、死んだら戒名はもちろんの事、墓も要らない。お骨は人様の迷惑にならないように、その辺に蒔いてもらって全然かまわないと常々考えているけど。