人の能力を伸ばしていく原動力となるのは、さまざまな挫折や失敗や蹉跌を乗り越えた上での成功体験とその達成感である。子供の頃からの小さな成功の積み重ねと周囲の賞賛の繰り返しが、失敗を恐れぬ将来へ向けての努力の糧となる。だから、夢を持って自分なりに最大限努力しなさい・・・。
↑↑みたいな「当たり前」的教育方針みたいなものは「オモテの真理」。つまり、ある意味一方的な「勝ち組」の論理であって、生まれながらのハンディキャップがあったり、乗り越えられないさまざまなストレスの渦中にある場合には(殆どの場合そうなんだけど)、「そんなこといってもさぁ・・・」という、言い訳や留保を付けることになる。さらに、この言い訳は、ハンディキャップもなんにもない、ふつうのナマケモノ(つまり僕達、大部分の普通の人たち)を甘やかす論理にもすり替わる。でも、そこが人生の潤滑剤というか、「救い」の部分でもあるわけ。この言い訳が「ウラの真理」だ。
要はバランスなんだと思う。勝っても負けても引き分けでも・・・なんでも。
でもね。
最近の世の中の悲観論を憂う反面、精一杯努力したり頑張ることの大切さを冷笑的に見るシニカルな態度がクール(かっこいい)なのだという風潮はいただけないと思うな。一攫千金のギャンブル的な拝金主義は、昔の日本では卑しいものとされていたのに、いつのまにかカッコイイことになっちゃってる。