June 12, 2008

雨の研究日に考察

僕の場合、詩の世界に、わりと雨が登場する傾向がある。雨の日特有の空気の流れとか、匂いとか、色の変化とか、「いつもと違う」何か(一言で言えば覚悟とか、心構えとか、気分とか)にインスパイアされるんだろう。いろんな事を。場面の設定として。

今日の午後は研究日。「雨」が降っている。

空から降ってくる一粒一粒の雨粒が、ほんの少しずつ時間的にも空間的にも「ずれ」ながら、落ちているのだ。ある一定時間、ずれながら、ずれながら、ずれながら、、、連続。

で、ふと思った。

雨という現象は見えるし感じられるわけだけど、「今、その瞬間」の、同時多発的ずれをもって連続的に落ちているはずの、、、雨粒は見ていないのだ。ぜんぜん。その気になって雨粒を観察しようとしても無理。全体のごくごくごく微量な部分を見ている気になっているに過ぎない。

みんな見て聞いて感じているのに、誰一人、その実態っていうか本体を見えていない。なんだか不思議。すごく不思議。

前に「海に降る雪は積らない」という文章を書いた事があるけど、「海に降る雨はひっそりと沈み消えていくのだ」ね。夕暮れ時の山の中、草原に落ちる雨は、かなり哀しく寂しいイメージだ。真夜中の都会のアスファルトに冷たく当たり砕ける雨も、かなりハードボイルドではあるな(笑)。

おお、そういえば!大学受験のころに、斜め60度で土砂降りの中を、傘をささずに走って一定の距離を進むのと、傘をさしてゆっくりと歩いて進むのでは、どちらが多く濡れるか?って問題があったな(笑)。数学勉強してれば面白いんだろうな。