March 15, 2008

啓蟄

高校時代、漢文って結構好きだった科目。妹尾勇先生というユニークな教師だった。四書五経を憶えさせられたりしてね。ボロボロになった「漢文提要」というサブテキストは今でも本棚のどこか隅にあるはずだ。仙人の話とか儒教的な寓話とか、ストーリーとして面白くて興味を持った。とはいえ、好きだった割には勉強しないもんだからテストの得点はイマイチだったな(笑)。この歳になってみると、何故10代のあの時期に古文とか漢文を勉強するのか?という意義・意味が少しはわかる気がする。

「教養」という言葉には、なんだか鼻持ちならないスノッブなニュアンスと雰囲気があるんだけど、本来は人生を豊かにするための「知的基礎体力」みたいなもんだと思う。うまくいえないけど。だから、あの年代に日本人・東洋人としてのアイデンティティを学習することの意義があるのだ。昔の人にはその「教養の背骨」がしっかりと身についていて、思考や思想がブレなかった(逆に言えば柔軟性がなかった)気がする。「立派な日本人」像は、確かにかの時代(明治・大正・昭和)には存在してた。その「日本人としての知的基礎体力」が今の現役世代(もちろん我々も含めて、だけれど)に欠如しているのは、ちょっとマズイ気がする。将来的にはもっとマズいことになるんじゃないか?

そんなに大それたことじゃなくても、僕自身もっと勉強しとけばよかったな。ま、今からでも遅くはないんだけど(笑)。そういえば、元首相で60歳でスパッと政界を引退して今は陶芸家をやっている細川護熙さんは本物の趣味人で、漢詩や古文に造詣が深く彼のエッセイを読むと、この爺さん只者じゃない、すごい!と感嘆する。まあ、殿様だから出来ることなのかもしれないけどカッコいいんだな。あの人が首相をやっていたんだから、日本も捨てたもんじゃないって気になる。

で、そんなことをつらつら考えることになったのは、暖かい午後の日差しを浴びながら進む田園都市線の電車の中。虫達が地面から這い出すこの時期、「けいちつ」ってどんな字だったけな?なんてね。「ちつ」がわからない。仕事柄、別の字はすぐ浮かぶんだけど(爆)。ジムから帰宅してビールを飲みながら、さっそく検索。

以下Wikipediaより引用==============
啓蟄(けいちつ)は二十四節気の1つ。3月6日ごろ。および、この日から春分までの期間。太陽黄経が345度のときで、大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。二月節。暦便覧には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲く頃。(後略)
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ふむふむ。