February 4, 2008

日本語ってすごい!

今日のさとなお君のサイトを読んで、目からウロコの驚き。その中で彼は本を執筆するのにマックで縦書きのEG-Wordを使用していて、彼なりの執筆パターンが確立していた。ところが、それが今後EG-Wordの新バージョン開発は中止になるっていうことになって、それを嘆いていたのだ。

はじめは、ふーんそうだよな、モノを書く人にとっては自分のお気に入りのものがなくなるっていうのは困るんだろうなって思った。で、気がついた。高校を卒業して大学受験、医学部で受けた教育、自分で書いた論文や趣味の雑文、おおっ、毎日書くカルテもそうだな、このブログの文章だってすべて横書きなんだ。縦書きで書くのは正式な手紙くらいか。最近じゃ年賀状さえ横書きだもんな。

→あいうえお
 かきくけこ
  さしすせそ
   たちつてと
    なにぬねの

なんだね。

でも、自分で読む小説とかは、縦書き。アタリマエ。日常生活上では、比率的に半々くらいか?いやいや、読む方でも7:3くらいで横書きが多いな。日本語は基本的には右上から下に進むのが、正式なのだね。いつの間にか僕らは横書きの日本語に慣れてしまったんだ。
  なたさかあ↓
  にちしきい
  ぬつすくう
  ねてせけえ
  のとそこお


これが正しい(ブログの設定でちょっと揺れているけど<笑)

思考の流れや展開は、日本で生まれ日本語を母国語として教育を受けた日本人の僕としては、縦書き日本語のほうが、すっきりするという「当たり前の事実」に気付いた。試しに、昨年書いた「象の話(寓話プロット)」をWordで縦書きに変換したら・・・あららびっくり!!全然読んだ印象がちがうじゃない!

縦書きのほうがしっくりする。さらに、校正するのに新しい表現やら発想が出てくるじゃない。それに驚いた。

大脳生理学的にいえば、人間の脳の第2・3・4脳神経(眼の機能)は、左右の水平の動きのほうが上下の垂直の動きより圧倒的に優位になっている。ということは、文章を書くという思考プロセスの中で縦書きの日本語を書くということは、子供のころから上下移動の思考プロセスを訓練しているということなんだわ。原稿用紙を埋めるという作業は、ものすごく脳の訓練になっているワケだ。これはすごいことだ!

もうひとつの発見は、モノを書くときに横書きにすると「左上→右に進み→改行→次の行の左から右に」という風に進むのだけれど(日本語以外の多くの言語がそうだ)、脳の認識する空間は、左右の水平移動優位だから(物語とか論文とかを)構築する空間は「いつも見えているもの」の延長になってしまいがちになる。でも、縦書き日本語だと・・・初めから上下の空間があるから右上から下→また上から下→改行・・・と筆を進めるうちに、違った世界が見えてくる。したがって、横書きの小説の世界は縦書きの小説の世界とは、同じ文章だとしても全く違った印象になってしまう。ムラカミハルキの小説は、横書きで書いたんじゃないかな?そんな気がする。だから彼の小説は世界中で読まれている(たぶん)。

僕らはもっと日本語の縦書き・横書きの効用を研究して使いこなすべきなのかもしれない。

そうそう、さらに

日本語のフレキシビリティの素晴しさは、正式には縦書きだけど、横書きでも可です・・・お気に召すまま・・・という懐の深さなんだよね。漢字・ひらがな・カタカナ・英数字の混在をはじめから許容する柔軟性。すごいぞっ、えらいぞっ>日本語

この考察をもう少し続けてみよう。文章を書くプロからしてみれば、アタリマエのことで何を今更ってものなんだろうけどさ。僕的には、すごく面白いっ!