August 9, 2007

Realistic Romanticist(現実的なロマンティシスト)

だからさ、つまり、そーゆーコトなんだよ。わからんものはわからんし、興味ないものは興味ない。じっくり話し合って理解させるとか、わかり合えるまで議論するとか、そのレベルの問題ではないと思う。Realistic Romanticist とRomantic Realistが出会ったとしたら。

ところで

♫ あの頃 同じ花をみて 美しいと 言った ふたりの
♫ 心と心は 今はもう 通わない

って、その昔のフォークソングは歌うんだけど...これは過去を肯定的に、レトロスペクティブに見ているわけだ。
で、最後に

♫ あの素晴しい「愛」をもう一度

って、プロスペクティブに叫ぶ...。

でも、それは違うんだよな。この名曲に、理屈っぽくツッコミを入れちゃうと、ある時、同じ花をみて「美しい」という言葉が出ちゃった二人であったとしても(そもそも「言う」必要はないのだけど)、それは比喩的な意味での「概念」とか「感情」の、ごくごく一部の共有であって、「美しさ」そのものの感じ方はそれぞれの人によって違うわけだから、「心と心が通っている」という事とは、また別の次元の問題なわけだ。もしかしたら「今はもう」じゃなくて「はじめから、そもそも」かもしれないじゃない(笑)。

逆もまた真で、かりに「心と心が通っていた」なら「同じ感情や概念を共有できるはず」だっていうのは、儚い幻想かもしれないわけだ。一部でも共有できればラッキー!ぐらいのもんじゃないか?実際。だからこそ世の中に数多くの「恋愛」が存在するのだろう。シニカルな見方だけど。で、心が通いあっていたとすれば、感じ方の「違いを受容する」のが自然の流れだと思う。23年間ちかく同じオンナ(つまり、かみさん>爆)と暮らしていれば、わかる。つーか、それが生活の知恵的な、ちがうな(笑)、それが、そうそう、生活習慣的な「自然の流れ」なのだ。

今度、そんな詩を書いてみようっと。