November 29, 2006

BUSSTOP

という言葉そのものに、心の奥底の、懐かしく切ない記憶がインスパイアされる・・・

高校生だった頃書いた歌、があった。
そのときは、言葉が迸る様に出てきて、自然に曲がついた。たぶん僕の曲作りの原点みたいな曲。

今想い出してみると、実に稚拙で中途半端な歌なんだけど、一昨日の夕方に街を歩いていて、高校生のカップル(だろう、たぶん)が、バスを待ちながら話をしている姿を見て、フラッシュバックした。

November 21, 2006

棟梁の話

子供の頃、近所にあった大工さんの「マンタロさん」のところに行くのが大好きだった。今考えてみると、大工さんとばかり思っていたが、お店があって、そこで家の欄間とか床の間の木工品を作っていたのだと思う。棟梁のマンタロさん(多分、萬太郎さんとかいうんだろうが、みんなマンタロさんって呼んでいた)という、昔かたぎの爺さんの職人は、仕事中でも近所の子供が遊びに来ると、いつも「おお、ボウズ達よく来たな!」とダミ声で言って、僕ら悪がきたちを、笑って迎えて入れてくれた。

別に一緒に遊んでくれるわけでもないし、お菓子をくれるわけじゃない。ただ僕らは、彼と丁稚達(お弟子さん?)が、作業場で仕事をしているのを見ているか、店の前の路地で「ダルマさんが転んだ」とか、「水雷艦長」とか、「三角ベース」とかをしていたと思う。

マンタロさんの孫でカイチ君(嘉一くん?)という子がいたが、歳はたぶん僕らより2-3歳小さかったように思う。たぶん一緒に遊んでいたはずなのだが、実はあまり印象がない。いつもニコニコ笑いながら僕らの後を付いて歩いているみたいなコだった。

マンタロさんは、「これで、そこで遊んでな、坊主たち。」なんて言って、仕事場にある木片をくれた。大きいものもあれば小さいものもある、でも僕らはその木片を使って、見よう見まねで「船」を作ったり、飛行機を創ったりした。トンカチで怪我をしたり、とげが刺さったりしたけど、男の子たちにとって夢中になる機会を作ってくれたわけだ。

いい爺さんだった。今考えてみると、あの頃には日本中どこにでも「子供に媚びない」「背筋の伸びた」「オトナの見本」みたいな人たちがいたように思う。

ある時、マンタロさんが僕ら悪がきにマジメな顔をして言った。きっと彼は、素朴で、無骨で、飾り気のない、素直な言葉を、子供たちにくれたのだ。僕はその言葉を忘れない。

「オレは小学校しか行ってない。だけど学校も勉強も好きだった。今は職人としてお天道様に恥ずかしくないように生きていて幸せだ。でも、きっと学校に行って、もっと勉強していたら、もっといろんなことがわかって楽しかっただろうし、もっと幸せになったはずだ。それが残念といえば残念だ。小僧達は、お父さんお母さんの言うことをちゃんと聞いて、学校で一所懸命勉強しなくちゃいけないぞ!頑張るんだぞ!」と。

今、この歳になって思うに、これは凄い事だと思う。近所の子供達に、そんな真っ当なことをマジメに諭すオトナなんて今居ないもの。

November 18, 2006

お蔭様で・・・

オフクロが倒れてから、早いもので1ヶ月。
やっと状態は落ち着きつつあるので、自分の病院でリハビリしてもらうことにした。

今日は板橋の病院から自分の勤務する世田谷の病院まで移動。
それにしてもすごい交通渋滞。
今日は世の中のすべての人が「紅葉狩り」をするような気がした。
ラジオの話だけどね(笑)

無事に移動を完了し、ほっと一息で。

November 16, 2006

斜め45度、上空3m

小さいながらも組織のリーダーとして仕事をしていると、いろんなことがある。柄じゃないんだけどね。
そんなわけで、少なくとも週に1-2回は、ヤなことがある。ま、大体が人間関係のこと。

ヤなことで、できることなら目をつむってシカトしちゃったり、無視できればいいんだけど、立場上真正面からモロに受け止めることが、僕の仕事なのですね。ある意味、最後の砦だから。

AとBが合わないことはある。人間だからね。いろいろあるわけだ。

でも

AとBが合わなくて、AとCがしっくりいかない、AとDとの間にも微妙な問題がある・・・とすると、
やはりAに問題があるというのは、確かなんだな。

ふう・・・

そんな時、僕はいつも自分の部屋にいったん戻り、
目を閉じて深呼吸を3回。
そして
斜め45度、3m上空から
そんな自分を 眺めてみる
ことにしている。

November 12, 2006

賢者の贈り物

かぜさんの「人生を変えないラジオ」の今回の御題が「クリスマス」ということで想い出した。
短編小説の巨匠オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」。たしか高校の英語のリーダーだったかな。

ジムとデラという貧しい夫婦がクリスマスにお互いに贈り物をする。お金がないので、デラは自慢の美しい長い髪の毛を切って売り、ジムの懐中時計につける鎖を買う。ジムは、自分の宝物の懐中時計を売ってデラに髪飾りを買うっていう話。題名は「賢者の贈り物」で、「愚者の……」でないところがポイント。つまり、二人はすごく愚かなんだけど、行った行為そのものは気高く美しい「賢い」ものなのだ、っていう話ですね。

当時の僕は、この貧しくも愛し合う二人の、美しく哀しい物語に、素直に感激したわけですね。

でもさ、この歳になってみると、この話の根底には、クリスチャンの偽善的な部分が透けて見えるように思えてならないのですね。シニカルな見方をしてしまう、僕の悪い癖かもしれないけど。

デラが美しい髪を売る決心をしたのは、「髪なんてそのうち同じように生えてくるもんじゃない。」っていう気持ちがどこかにあったんじゃないか?とか。ジムにしても、そんなに生活が苦しいんだったら、大切な懐中時計を売るなんて行為は愚かなことで、今年のクリスマスにはプレゼントをあげられないけど、もっとしっかり働いて来年はプレゼントをあげられるように頑張るから、ってデラに言えばいいじゃない、とか。

だから・・・
この二人は、お互いを愛し尊重しているようにみえて、実は自己欺瞞の愛情に浸っているだけじゃないか?って思うのね。現実的な生活ってのは、そんな甘いもんじゃないんだからさって感じ。ムリすることないよね。

でも、それが若さってことなんだけどね(笑)

November 6, 2006

Mr. Bell-Pepper プロット原案(改定)

「君はどのくらい泳げるんだい?」と、Mr. Bell Pepperが聞いた。

いつも彼の質問は唐突で気まぐれだ。「まあ、体調さえ良ければ1000mは泳げるだろう」と何気なく答える僕。

「ゲームをしないか?」

「どんなゲームだい?」

おかしそうに嗤うMr. Bell Pepper

「君は、どんな状況でも100mなら泳げるかい?」
「まあ、たぶんね。」
「たぶん、かい?君はいつでも、そう言うな」
「いや、{たぶん}絶対さ」

「僕の言う条件で100m泳げたら、5万ドル、っていうのならどうだい?」

5万ドルっていうのは、ただ100m泳ぐだけという対価としては悪くない金額だけど、命をかけるほどの金額でもない。全然。あまり興味がわかないけど、少なくとも面白そうな話だ。

「あっ、わかったぞ。身体に鉛を50キロ着けて・・・みたいな条件とか、悪天候の海とか、急流を泳ぐみたいな話なんだろ。そんな仮定を突然持ち出すなんてフェアじゃないよ、Mr. Bell Pepper.」

「まーく、そうじゃない。僕のいう「状況」は、君が一番体調いい状況で、君の{好きなときに、好きな格好で}泳いでもらっていいのさ。それで出来るのか?って話さ。」

「ほほう、それならOKだ。自分で決めて良いんだろ?大丈夫。僕には自信がある。」

「ふーん。皆そう言うのさ。自信満々にね。でも、それが出来たのは今まで2人と1匹だけさ。」

「年老いた漁師と盲目のギタリスト、それに、飼い主を喪ったばかりのメスのレトリバー。」

「えっ?たった100m泳ぐだけだろ?」
「そうだよ、たった100m泳ぐだけだよ」と、含みのある言葉を復唱するMr. Bell Pepper

☆☆☆☆☆☆

「このゲームに参加して、僕の話を聞いてくれればその時点で1万ドルだ。その話にのって実際に泳ぎ出せば1万ドル上げよう。ただし、トライ出来なければ逆に僕に3万ドル払ってもらう。そして、実際に成功すれば、僕が君に3万ドルだ。悪い話じゃないだろう?フェアなゲームだと思うが。」

「もう一度確認しよう。僕は、僕が選んだ条件で好きなときに好きなように100m泳げばいいんだね」
「そのとおり。僕が決めるのは、{その場所}だけだ。」

不敵に哂うMr. Bell Pepper

「ゲームを始めよう!」

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11月の新月の夜だ。時間は午前1時すぎ。ちょっと肌寒いが絶望的なほどの寒さではない。僕は漆黒の闇の中、一人で海に出ている。風はそんなにないが、太平洋の波は確実なうねりを繰り返している。風の音はほとんど聞こえないが、重低音のごーっという腹の底に共鳴するような黒潮の響きを感じる。乗っている船は小さなゴムボートだ。十分な装備もある。ゴムボートの底は十分な厚みのゴムで出来ているが、僕は身体の下に直接海の鼓動を感じている。木の葉のように揺れる、っていう程じゃない。舵なしで潮に流されている。でもボートは上に下に、背丈のおよそ2倍、3m位のうねりの中にいる。この海域では、「ごく普通」のうねりの中に、居るわけだ。せり上がってうねりの頂上にいると、底のほうは絶望的なくらい深く暗い闇の底に見える。それ自体が、根源的な恐怖。畏怖。何に対しての?

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そうだな、確かに怖いさ。
でも大丈夫。たった100m泳げばいいんだろ。そのくらいできるさ、「必死になれば」。

ははは、そうだろうな。「必死になれば」そのくらいできるだろう。勇気を振り絞ってね。オレも「君なら出来る」と思ってるさ・・・その時点ではね。

★★★★★

漆黒の闇、深いうねりの中で、僕は何度か海面を覗き込んだ。夜の海、うねりがある。水温だって決して十分とはいえないだろう。今まで経験したことがない状況で、海に入るリスクをかけることはない。

恐怖?YES
後悔?Yes, but...

ああ、そうか、ゲームを降りるという選択肢もあるわけだ。3万ドル渡して。僕にとっては大金だけど3万ドルは払えないわけじゃない。こんなゲームに命をかけるほどのものでもないだろう。差し引き1万ドルじゃないか、リタイヤするのはそんなに難しくない。

No, but...

僕は朝が来るまで待つことに決めた。あと5時間もすれば夜が明けるだろう。

Mr. Bell Pepperは、何も言わない

★★★★★
夜明け前。
でも、まだ君は本当のことを知らない・・・と、Mr.Bell Pepperがつぶやく。

~~~~~~~~~~~~
水平線がぼんやりと明るくなったと思ったら、急に周囲の海の色変わった。漆黒から濃紺、そして乱反射する波面。太陽があがった。
~~~~~~~~~~~~

やめるなら今のうちだよ。実際の深さをまだ君は知らない・・・と、Mr.Bell Pepperがつぶやく

教えてあげよう。君は今、日本海溝の上にいるのだ。
午前1時、最深部が8020Mの日本海溝の真上の海上にいる。うねりは約3m。
新月の真っ暗な夜だ。うねりの底の暗黒の深い底には8020Mの海底があるんだ。

十分な時間もある。君が100mは泳げるんだろ。「どんな状況でも」。

嗤うMr. Bell Pepper.

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僕とMr. Bell Pepperの本当のゲームは、ここから始まったのだ

続く・・・(今日はもう眠いのでここまでっ!)

November 5, 2006

駒込の夜は更けて・・・

昨日は、さくちゃんの隠れ家のある駒込で集合。スタジオ練習の後に、駒込を散策しました。うううむ、なかなか面白くて奥が深い街です>駒込。なぜか焼肉屋とふぐ割烹が多い。面白いのは店の名前。
①割烹「ふで春」、この「ふで」っていうのは「筆」ですかね?意味不明、なんとなくクスグッタイね。
②スナック「ニューうさぎ」:以前見つけた巣鴨商店街の姉妹店なのかね。でも、なんで駒込で「うさぎ」なのか?
③その隣のスナックは「樺恋」:「かばこい」って読むのか?何れにしても意味不明
④焼肉「桃太郎」(これも面白いネーミングだ)が閉まっていたので入った焼肉屋「味一(あじいち?)」ってのは、安くておいしかった!これはアタリでした。

その後は、さくちゃんの次男アツシ君の20歳バースデーで、彼と彼のガールフレンドが参加して、いつものHIROSHIの店「Pousse Cafe」ココんちは、雰囲気が素晴らしい、和みます。このアタリから僕は結構酔っ払い店のギターを弾いたな(笑)。その後、「さくら」に戻り「昔の話:爆笑大会」で、駒込の夜は更けていったのでした。

November 3, 2006

とんかつ北品川

今晩は、高校時代の同級生のトリウミ弁護士の紹介で「とんかつ北品川」へ。
ハックルブログにも書きましたが、スゴイわ、このお店。
ぶっ飛びました!

「とんかつ北品川」 品川区北品川1-1-1
電話:03-3458-7250

November 2, 2006

芸能人と出会う日

だな、今日は。今日午後は研究日。明大前のクリニックに向かうべく新宿の「万世」で、肉みそパーコーメンを食べていたら、僕の相席の前がおすぎとピーコのおすぎさん。一人でパーコーメン食べてた。その後、明大前のドトールコーヒーでコーヒーを飲んでくつろいでいたら、斜め前に座ったのが若い俳優さん。たしか「僕たちの戦争」で一人二役やってた子。名前がわからなかったけど、それなりに存在感のある人だった。今調べてみたら森本未来という人。帽子かぶって目立たないようにしていたけど、周りの若い子たちは気づいていたみたい。おすぎさんにしても森本君にしても。プライベートなのに周囲に気にされて、気に毒だな、って思った。ま、それだけですが(笑)。