この歳になると日々の生活の中で、ああ、あれはそういうことだったんだ!って突然気付くことがある。大人になって無感覚になったというだけでなく、自分が未熟だったときには見えなかった事が自然に見えてくる。若い頃には理解できなかった(しようともしなかった)事の意味が突然わかったり、全然間違った認識で自分勝手に誤解していた事で悩んでいた事に気付いたり。年輪を積み重ねていく事で解決する物事の「道理」というものがあるということを感じるようになる。
逆に言えば、若い頃の感性は自分で意識していないとどんどん変質していく。大人的な「コトナカレ主義」や「分別」とか「常識」という名前の「言い訳」とか「物わかりの良さ」に染まってしまうからだ。その事は是や非ではない。是は必ずしも是ではなく非は必ずしも非ではない、ということ。大人になったからといって「正しく悟った」ということでもない。ただ視点は広がり少し高いところから俯瞰する事が出来るようになる。
若い頃さんざん大人達から「心身ともに鍛えておけ!」と言われた気がするけれど、何をどう勉強すればいいのかは、皆目検討が付かず馬耳東風だった。大人の言う事を素直に聞く事が「カッコ悪いこと」で、それを無視して「俺、勉強嫌いだもんね」という態度を取る事が若者の「証」だと思っていた。学校でそこそこの成績をとることはプラクティカルな意味でそんなに困難ではなかったから、その努力はそれなりにしたけれど、そんな不純な動機で学んだ事は身には付かない。要領の良さは小さい頃からで、試験地獄をサイヴァイヴして結局は医者にはなったけれど。そんな事は「学ぶ事」の本質からはかけ離れた物で、自分の感性を磨くためにもっと若い頃本を読んで勉強しておけば良かったな、と最近つくづく感じている。日暮れて道遠し・・・この週末は近代日本史の勉強でもするかな。
August 7, 2010
August 6, 2010
若い頃の恋は成就しない(ほとんど)
今夜はあるシークエンスの作詞をしている。「携帯電話のなかった時代」のアンサーソングというかパート2。言葉を捜して想像の世界を浮遊している感じ。この曲に関しては、書きたい事がたくさんありすぎてフォーカスできてないのが問題なのだな。
先日のじょうじ君とのセッションで曲想はほとんど出来上がっていて、どんな感じの曲になるか朧げな全体像が決まっているものの、歌詞の「立ち位置」がイマイチ定まらないというか、僕の視線があっちこっちにいってしまい、最終的な場面がまだ見えてこないのだ。この「もどかしい感覚」ってモノを創る人たちにしかわからないであろう「痛(いた)気持ちいい」感じ(笑)なのだけれど。今週末には完成して、新しいCDには入ることになるかな?
人を好きになる。恋をする。好きになった異性を憶う気持ちの「せつなさ」とか「ひたむきさ」って未熟な若者特有のものだと思う。それを美化して「若い時の恋=ピュアな感情」と書きたい所だけれど、実際にはかなりどろどろしたもので、実に「みっともなくてかっこ悪い」ものなんだ。若者の恋愛にも「打算」だってあるし「見栄」だってある。でもその根底にある「自分への自信のなさ」とか「将来への漠然とした不安感」とか「自分が傷つく事への恐怖感」とか「恥ずかしさ」とかがあるもんだから、「せつない」わけだ。「自分」に対して。「常識」や「分別」や「建前」や「逃げや言い訳を用意する狡さ」という名前の「モラル」とか「エチケット」を身につけた大人のソレと比べると、ほとんどのケースで「情けない結末」とになる。つまり若い頃の恋は必然的に成就しないものなのだ。昔の自分を思い出して「ぎゃ!」と恥ずかしくて絶叫しそうになった(爆)。
作詞する時の僕の「詩の世界」は「自分の体験」であることはむしろ稀で、全く別物であること(願望や妄想も含めて>爆)が多い。そのまんまでは恥ずかしすぎるのだ。以前に作詞家のかぜ耕士さんと話しをしていて「詩を書くという事は精神的なストリップだ」みたいな話を聞いたことがあるけれど、まさに至言だと思う。
先日のじょうじ君とのセッションで曲想はほとんど出来上がっていて、どんな感じの曲になるか朧げな全体像が決まっているものの、歌詞の「立ち位置」がイマイチ定まらないというか、僕の視線があっちこっちにいってしまい、最終的な場面がまだ見えてこないのだ。この「もどかしい感覚」ってモノを創る人たちにしかわからないであろう「痛(いた)気持ちいい」感じ(笑)なのだけれど。今週末には完成して、新しいCDには入ることになるかな?
人を好きになる。恋をする。好きになった異性を憶う気持ちの「せつなさ」とか「ひたむきさ」って未熟な若者特有のものだと思う。それを美化して「若い時の恋=ピュアな感情」と書きたい所だけれど、実際にはかなりどろどろしたもので、実に「みっともなくてかっこ悪い」ものなんだ。若者の恋愛にも「打算」だってあるし「見栄」だってある。でもその根底にある「自分への自信のなさ」とか「将来への漠然とした不安感」とか「自分が傷つく事への恐怖感」とか「恥ずかしさ」とかがあるもんだから、「せつない」わけだ。「自分」に対して。「常識」や「分別」や「建前」や「逃げや言い訳を用意する狡さ」という名前の「モラル」とか「エチケット」を身につけた大人のソレと比べると、ほとんどのケースで「情けない結末」とになる。つまり若い頃の恋は必然的に成就しないものなのだ。昔の自分を思い出して「ぎゃ!」と恥ずかしくて絶叫しそうになった(爆)。
作詞する時の僕の「詩の世界」は「自分の体験」であることはむしろ稀で、全く別物であること(願望や妄想も含めて>爆)が多い。そのまんまでは恥ずかしすぎるのだ。以前に作詞家のかぜ耕士さんと話しをしていて「詩を書くという事は精神的なストリップだ」みたいな話を聞いたことがあるけれど、まさに至言だと思う。
August 5, 2010
超攻撃的肉食系女性の歳のとりかた

当直明け。寝不足で身体的疲労はあるものの逆にハイな一日。瀬田からの帰路南町田へ向かい映画を観ることにした。映画SALT 。ストーリーは二重三重スパイもので「大どんでん返し」で最後まで。続編を暗示しているエンディングだった。この映画は荒唐無稽なストーリーなんだけれど、ここまで壊しまくれば逆に痛快。
それにしても主演のAngelina Jolieは、すごい。この役、強すぎっ!できるだけスルーして、敵に回したくない相手(笑)。孤高の強さ。雌豹みたいな超攻撃的肉食系女優だね。彼女はジョン・ヴォイドの娘にして、今はブラッドピットの奥さんでもある。経歴をみると壮絶な人生を送っているみたい。このキャラでどんな歳のとり方をするんだろう?って老婆心ならずジジイ心で心配したりして。夜は8本400m。いいリフレッシュができた研究日。
August 4, 2010
当直中

Jobs & Gatesの3コマ漫画風ジョークを発見/ 抜けた軽めのジョーク。いくつかある中で、これが一番笑えた。いくつかの意味があるんだな、このジョーク(笑)。
「東京ルール」で現在当直中。それにしても今夜は静かだ。静かすぎて逆に不気味。ま、今のところ、ではあるけれど(笑)。世の中で救急搬送で「選定困難事例が少ない」ってことはいい事ではある。そんなこんなで、今夜はオフィスで溜め込んだデスクワークを処理したり、ネットを観たりしつつ。
August 3, 2010
ふむふむおいしいふもとごはん
手術2件。忙しい一日。19時半ころ自由が丘駅にいたら、ゆっつんから電話。「今ママと買い物しているんだけれど、これからご飯を作ると遅くなっちゃうからどっかで食べようと思うんだけど・・・、パパどうする??」「どうするって言ってもさ(笑)。どこかで外ご飯食べようか」ということになった。たまプラから動く事は面倒だったので「麓」に行く事にした。
おからのアペタイザー
アジのサラダ
鶏肉のはさみ揚げ
いさきの塩焼き
麓「夏炒飯」
麓パスタ
蜆のお味噌汁で〆
今日も、3人でハートランドを3本頂いて大満足のご飯。
ちょこっと寄るのにはいいお店。
おからのアペタイザー
アジのサラダ
鶏肉のはさみ揚げ
いさきの塩焼き
麓「夏炒飯」
麓パスタ
蜆のお味噌汁で〆
今日も、3人でハートランドを3本頂いて大満足のご飯。
ちょこっと寄るのにはいいお店。
August 2, 2010
今日の発見&オドロキ&反省
その1:気温30度を越えていても、「わりと凌ぎやすい気候だな」と思った事。
その2:111歳の都内最高齢とされる男性、113歳の女性はどうも虚偽申告であるということが発覚。日本人の平均寿命が世界最高ってのは本当なのだろうか?という疑念
その3:1960年代ー1970年代の日本の左翼が、当時本気に「資本主義=悪」「社会主義=善」という構図を信じていたらしいこと。ベトナム戦争の共産勢力が戦争終了後に南の勢力を武力で陰湿に粛清したこととか、史上最悪の虐殺をおこなったポルポト社会主義政権(クメール・ルージュ)のことを朝☆新聞社説が絶賛していた事とか。過去の事実を黙殺して自己批判(彼らの大好きな言葉)など決してしないこととか。さらに彼ら「勘違いやさぐれ左翼」の残党が日教組や組合を基盤とした現在の民主党政権にもいること。
その4:予想通りの忙しい一日。想定外のサブルーティンが多数あり、イライラしてしまった。だめだなあ、修行が足りない。反省。
その5:ジムにて。8時過ぎというゴールデンタイムなのにレーンががらがら。みんな夏休みなのかな。
その6:8月になっているのに、自覚がない。この季節感、やばし(爆)。
その2:111歳の都内最高齢とされる男性、113歳の女性はどうも虚偽申告であるということが発覚。日本人の平均寿命が世界最高ってのは本当なのだろうか?という疑念
その3:1960年代ー1970年代の日本の左翼が、当時本気に「資本主義=悪」「社会主義=善」という構図を信じていたらしいこと。ベトナム戦争の共産勢力が戦争終了後に南の勢力を武力で陰湿に粛清したこととか、史上最悪の虐殺をおこなったポルポト社会主義政権(クメール・ルージュ)のことを朝☆新聞社説が絶賛していた事とか。過去の事実を黙殺して自己批判(彼らの大好きな言葉)など決してしないこととか。さらに彼ら「勘違いやさぐれ左翼」の残党が日教組や組合を基盤とした現在の民主党政権にもいること。
その4:予想通りの忙しい一日。想定外のサブルーティンが多数あり、イライラしてしまった。だめだなあ、修行が足りない。反省。
その5:ジムにて。8時過ぎというゴールデンタイムなのにレーンががらがら。みんな夏休みなのかな。
その6:8月になっているのに、自覚がない。この季節感、やばし(爆)。
August 1, 2010
波間に漂い癒された日曜日
斎田キャプテンの御厚意で、またまた湘南クルージングの一日。今日は、次女ゆっつん、ゆっつんの親友のあやかちゃん(戸田恵梨香そっくりさん)、三女さとちゃんの3人娘、ともP、斎田家のボーイズ(なおくん&ふみくん)僕、キャプテンの8人。波の穏やかな素晴らしいクルージング日和。今日も海の透明度が高く気持ちよく泳いでまたサザエを穫った(わーい!)。昼ご飯はシーボニアに上陸して「トルコライス」(名称の由来は判らないけれどカツカレーみたいな料理で美味しかった)。斎田家のボーイズ達は小さい頃から知っているので、彼らが成長し立派な青年になっていて感激する。来春には二人とも医師と歯科医として社会に出るんだものね。礼儀正しくやさしい好青年たちだ。息子がいたらきっとこんな感じなんだろうな、と思ったりして。今日ボーイズ&ガールズで楽しそうに遊んでいるのをみていて、ううーーむ若いっていいなあ、としみじみ(笑)。嫁にもらってくれねーかな?←親戚のオジさん感覚か(笑)。画像は「娘&息子たち」
湘南相模湾を知り尽くした斎田キャプテンのホスピタリティに今日も「おんぶにだっこ」で甘え、泳いだり釣りをしたり、一日中楽しませて頂いた。陸に上がって思い出すと、海の上の出来事が本当に夢の中の出来事みたいだった。たぶん波間に漂いながらアルファ波はが出まくってたんだろう。
本当に有り難うございました>斎田キャプテン&素晴らしいボーイズ!
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