以前に書いたパンツネタ。
パンツはユニクロである。パンツは「ユニクロで十分だ」ではなく「ユニクロであるべきだ」というのはコンセンサスというかコモンセンスだ。肌触りの良さ、つまり素材感と縫製に関しては、多分これ以上のクオリティは要らないだろう。柄や形、デザインにしても必要にして十分なラインナップ。老若男女向けがあり、そして安い。他のブランドがその何倍ものコストのベネフットがあるとは到底信じられないから、もうこれは余程の「ユニクロ嫌い」でない限り、「であるべきだ」になってしまう。これは圧倒的な商品価値を創造したということで、スゴい事だ。改めて考えてみると。女性は違うのかもしれないけれど、ウチら男には勝負パンツがある訳じゃないし(笑)、その意味では毎日が真剣「勝負」だもんね。
クローゼットを断捨離をしていたら、パンツは10枚くらいのローテーションということが判明。全然ローテーション入りしていないパンツもその倍くらいの数がドロワーに入っていた。捨てるタイミングが判らず、なんとなく飽きてしまってローテーションから外れるベテラン投手みたいなパンツ達の多いこと。昔のパンツみたいにゴムがびろ〜んと伸びてしまったりするのは皆無で、今のパンツはなかなか壊れないのだ。本当にパンツって健気に地道にしっかりと仕事をする頑固オヤジの職人芸みたいだと思う。
僕の場合、衣類はわりと捨てている方だと思うけれど、それでもクローゼットは一杯だ。シーズンでローテーションが決まってしまうので、断捨離の観点からは本当に大事に使う服だけを選べば、たぶんこの1/3くらいになるんだろうな。いや1/4か。
January 31, 2012
今朝のFBよりWords of wisdom
シェアできないので、以下コピペ。
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「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。
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「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。
January 30, 2012
助けあいジャパン情報レンジャー・ミーティング
「助けあいジャパン」本部にて「情報レンジャー」の報告会&懇親会&ブレスト。311以来、僕が関わってきたこの「新しい公共」の形。ネットを介して「志」のベクトルは同じ人達がクラウドでつながる。様々なスキルや経験、立場を持ち寄って事を成し遂げていくシステム。震災直後の混乱期にものすごい力を発揮した。その後いろんな活動のベクトルに分かれつつ、今日に至っている。昨夜は「情報レンジャー」の活動報告と今後の方針のブレスト。年齢や仕事、立場など全然ちがう(それでいてベクトルが同じ方向に向いている)人たちとの話し合いにインスパイアされ楽しかった。
January 29, 2012
寒ぶっ!寒中パワーウォーキング
昨日の続きで、この週末は歩こう!と思った。それにしても寒い。木枯らしが冷たくて、体感的には一年で一番寒い。6km/hくらいのスピードなので、ほんのりと汗をかく。生来汗かきなのでこんな環境でも着替えは必須なのだ。7時半に出発し快調に進み二子玉川まで1時間。8kmだから軽く走れてしまう距離なんだと再認識。二子橋を渡る時、多摩川の水面を渡ってくる風が身を切るような冷たさで、凍えてしまった。発汗するくらい身体は熱いのに汗で濡れたTシャツが冷たい。二子玉川駅に飛び込んでトイレで第一回目の着替え。スープストックで中華粥の朝食。これが温かくて身体に沁み入る美味しさ。実は当初の予定では羽田空港までの25kmを歩くつもりだったけれど、未知のルートを歩くには今日はあまりにもコンディションが過酷ということで、道のわかったルートを選択した。結果的にはこれが正解。着替えにしてもトイレにしてもある程度わかっていないと辛い。二子玉川から一路246を東進して渋谷へ至る。渋谷までで20km。ベルコモンズで2回目の着替え。それにしても風が冷たい。今日は「暑くて寒くて、熱いのに凍える」というアンビバレントな感じ。今日は原宿表参道から神宮外苑の並木道を経由して信濃町へ。寒かったし、ふと思い立ち吉宗(皿うどんと茶碗蒸し)を目指したのだが、なんと昨年末で閉店だと。残念!そこで急遽246へ戻り、赤坂見附でウォーキング終了。
26.8km, 移動時間4:32:36, 消費カロリー1861 cal 10:47/km - 4:10/km
http://share.abvio.com/dcd2/5cb9/4ec8/83ec/Walkmeter-Walk-20120129-0744.kml
赤坂界隈の変貌ぶりに驚きながら、赤坂一龍別館でソルロンタン。身体が温まってしみじみ美味しかった。帰路ジムに立ち寄りサウナへ。
ウォーキングをしていると、車や電車に乗っていると気がつかなかった様々なことに気付く。歩くスピードで移動するのを基準とすると、僕らはなんと忙しい時間の流れの中であくせくと生きているんだろう。昔の人たちはこの距離感と時間感覚のなかで「身の丈にあった」生活をしていたんだろう。その意味では山手線一周なんてすごく小さいエリアなんだね。34.5kmだそうな。山手線ルートマップ。ネット情報では休憩を入れて12時間とか14時間とか書いてあるけれど、実際にはどうなんだろう。やってみるかな?
26.8km, 移動時間4:32:36, 消費カロリー1861 cal 10:47/km - 4:10/km
http://share.abvio.com/dcd2/5cb9/4ec8/83ec/Walkmeter-Walk-20120129-0744.kml
赤坂界隈の変貌ぶりに驚きながら、赤坂一龍別館でソルロンタン。身体が温まってしみじみ美味しかった。帰路ジムに立ち寄りサウナへ。
ウォーキングをしていると、車や電車に乗っていると気がつかなかった様々なことに気付く。歩くスピードで移動するのを基準とすると、僕らはなんと忙しい時間の流れの中であくせくと生きているんだろう。昔の人たちはこの距離感と時間感覚のなかで「身の丈にあった」生活をしていたんだろう。その意味では山手線一周なんてすごく小さいエリアなんだね。34.5kmだそうな。山手線ルートマップ。ネット情報では休憩を入れて12時間とか14時間とか書いてあるけれど、実際にはどうなんだろう。やってみるかな?
January 28, 2012
30分で移動していた距離を2時間で歩くこと
昨日書いたログがどこかに行ってしまった(笑)。アップしたつもりで削除してしまったのか?下書きファイルにも残っていないのがすごく不思議。全然記憶がない/酔っぱらってアップしたログやコメントはトンでもない事はよくある事で、翌朝修正する事はしばしばあるけれど、気をつけなくちゃいけないな。反省(笑)。
気持ちのいい冬の午後。寒いけれど僕はこのくらいの寒さの中をとっとこ歩くのが好き。暑い日に汗だくで歩くより、寒い時に歩く方が「研ぎすまされる感覚」がある。今日は自由が丘からたまプラーザまで。いろんな事を考えいろんなことを感じながら、ずんずん進む快感。http://share.abvio.com/dcd2/5cb9/4ec8/83ec/Walkmeter-Walk-20120128-1416.kml
昨年歩き始めたころは「それなりのエクササイズ」をしている気がしていたけれど、12km/2時間なんて全然楽勝になってしまった。考えてみればこの2時間で歩ける距離を毎日片道30分かけて電車で移動しているのだな。この距離感は目からウロコだった。そろそろ次のステップに進もう。桜の咲く頃までに50km/8時間か。朝6時ころから歩き始めれば休憩も入れて日が暮れるまでには目的地には到着できるか?
気持ちのいい冬の午後。寒いけれど僕はこのくらいの寒さの中をとっとこ歩くのが好き。暑い日に汗だくで歩くより、寒い時に歩く方が「研ぎすまされる感覚」がある。今日は自由が丘からたまプラーザまで。いろんな事を考えいろんなことを感じながら、ずんずん進む快感。http://share.abvio.com/dcd2/5cb9/4ec8/83ec/Walkmeter-Walk-20120128-1416.kml
昨年歩き始めたころは「それなりのエクササイズ」をしている気がしていたけれど、12km/2時間なんて全然楽勝になってしまった。考えてみればこの2時間で歩ける距離を毎日片道30分かけて電車で移動しているのだな。この距離感は目からウロコだった。そろそろ次のステップに進もう。桜の咲く頃までに50km/8時間か。朝6時ころから歩き始めれば休憩も入れて日が暮れるまでには目的地には到着できるか?
January 26, 2012
heading the right direction
プライベートで、10年来の懸案事項が最終局面を迎えつつある。今日はその問題解決のための会合があった。いつも患者さんにお話するのだが、暗いトンネルの中で悩んでいる人にとって一番辛いのは、今進んでいる事が本当にトンネルの出口に向かっているのか?という不安感と、もしかして入り口に逆戻りしているのではないか?という恐怖感で、ぐるぐると回っている時なのではないかと思う。最悪なのは歩みを止めることだ。進んでいる道の先にボンヤリと出口の薄明かりが見えてくれば、歩き続ける勇気がわいてくる。
January 25, 2012
怒っていると本気になる
高橋秀実「結論はまた来週」で気になった文章をメモしておく。
正しいから怒るのではなく、怒っていると自分が正しいと思えてくるのである。一方、周りの人も、怒っている人を見ていると「怒るのもムリはない」と感化されるようになる。
怒りは自らを正当化する。これを心理学用語で「激情神話」という。怒っていればみんな正しくなれる、という幻想なのである。
そうなのだ。その通りだと思う。現代社会においては、みんなが常に何かに対して怒っている。その「何か」の火種を見つけ、焚き付けて燃え上がらせるのがマスコミ、さらにはネット社会の闇の部分。いわゆるスケーブゴウトを捜していじめ、否定的な意見を述べる事が「正しい態度である」と信じているみたいだ。個人のレベルでも「普通の人が常に何かに対して怒っている」ようになったのは、ここ20年くらいのことなんじゃないかと思う。三丁目の夕日の時代(1950ー1960年代)の日本人はもう少しニコニコしていた・・・のではないか。
正しいから怒るのではなく、怒っていると自分が正しいと思えてくるのである。一方、周りの人も、怒っている人を見ていると「怒るのもムリはない」と感化されるようになる。
怒りは自らを正当化する。これを心理学用語で「激情神話」という。怒っていればみんな正しくなれる、という幻想なのである。
そうなのだ。その通りだと思う。現代社会においては、みんなが常に何かに対して怒っている。その「何か」の火種を見つけ、焚き付けて燃え上がらせるのがマスコミ、さらにはネット社会の闇の部分。いわゆるスケーブゴウトを捜していじめ、否定的な意見を述べる事が「正しい態度である」と信じているみたいだ。個人のレベルでも「普通の人が常に何かに対して怒っている」ようになったのは、ここ20年くらいのことなんじゃないかと思う。三丁目の夕日の時代(1950ー1960年代)の日本人はもう少しニコニコしていた・・・のではないか。
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