助けあいジャパン

December 9, 2013

足底ぐりぐり器具その後

2ヶ月経った。毎回毎回「イテテテ」とか「うぎゃ〜」とか叫びながら、痛さに耐えているうちに、平気になった。罰ゲームみたいに痛かったのに、今では足底のどこを刺激しても痛みに耐えられるようになった。一番の変化は、足底が柔らかくなったことだ。足底がポカポカしてきて、ストレッチもできるし気持ちいいので、当分は続けるつもり。

December 3, 2013

当世入院事情

1985年ころまで
多くの日本の病院の廊下には
薄暗い電話ボックスがあった。

公衆電話のボックスには
それぞれ思いを込めた、
大事な言葉を伝えたい
患者たちが
声を潜めて
じっと順番を待っていた

携帯電話のなかった時代
さまざまなドラマがあった

ここ数年で明らかな変化が見られる
入院中の患者のアクセスが、
ネットワークと携帯端末の進化で、
かなり自由になったのだ。
これは素晴らしいことだ

誰とでも
いつでも
どこでも
繋がる事ができる

患者が今まで以上に
外の世界と繋がっている
今まで無かった
自由度がある

従来当たり前のようにあった
入院中の孤独感や疎外感は少なくなった。

不安感の軽減に役立つだろう
また、とかく近視眼的になりがちな入院中でも、
外部の医療情報にアクセスしやすくなるもの利点だ

そういった患者、家族と
医療情報を共有するメリットは大きい

他方、入院生活での新しいエチケットも皆が認識する必要がある

1)
会話はロビーにて
キーボードも
夜間など静かな病室では気になるもの
音や光にお互い注意しましょう

2)院内施設は、電源が限らており、端末にも制限があります。
不明な際には相談ください。
それに伴って院内のルールも整備する必要があり
現在検討中です

3)プライバシー保護の観点
デジカメで容易に画像が撮れる

4)今の時代、携帯やメールでのやりとりで、
入院していても簡単にコミュニケーションが取れるので
ざっくばらんに相談したほうがいいかも

何か困ってない?
何か持って行ってあげるものは?
困っていることはない?

5)
ネットからの注文も一般的になりつつある
病院によっては事例がなく混乱することがあるので、
ルール決めが必要

6)
コンビニなどの参入
新しいサービスが出てきた

思い付くままに・・・


Easy come, easy go(乙女の祈り)歌詞プロット

easy come, easy go

幸せは、いつも
私の所を
すり抜けて
遠い所に行ってしまう

今度こそはと
思っていても
いつも
いつのまにか
知らぬ間に

待っているのに
祈っているのに
神様を信じて

いつも待っているのに
幸せは、いつも
私の所を
すり抜けてしまう

負けた時の言い訳ばかり
みんな勝った時は何も言わない
だから
私だけ不幸なのかも?って思っていた

いつも
いつのまにか
知らぬ間に

誰かが不幸になると
相対的に自分が幸せになれるものだと
思っていた

でも
あなたに出会って
そうじゃない事に気づいた
神様がくれるチャンスは
平等

可哀想なpoor girl
いつも泣いていた
同情は要らないわ
Because I am easy come, easy go./ Little high, little low.
いい時もあれば悪い時もある

Queen’s Bohemian Rhapsody
I’m just a poor boy, I need no sympathy. / Because I’m easy come, easy go. / Little high,little low

神隠し

朝、ふと気づいた
いつも使っているノートブックと
文具一式が見当たらない

お気に入りのオレンジ色(!)のバッグ

ほぼ毎日使用するもので、
部屋から動かしたとは
思えない

前日確かに別の部屋で
仕事していたけれど
さっきまでソコにあったのだ

突然無くなったのではない
絶対にあるはずなのだ
しかしそこに「ない」という厳然たる事実
あるべき所に「ない」
自分で「勘違い」してどこか仕舞い込んだのか

勘違いしたこと自体を
自覚していない
錯誤したことを認めたくない

何かの隙間に入った、とか
どこかに落ちているのか?
必死に探したが見つからない
周囲を「指差確認」したけど・・・

本当に「なかった」のだ

神隠しか??

頭の中に???が渦巻く

ところが、どうしても出てこなかったそのバッグが
朝になってみると、ふつうにカウチの上にあるではないか、

まさか時空がズレたのか?と思った。
。。。んな、わけない(笑)

結論からいえば「見えていなかった」ってことなんだろう。
今の病態で空間認識や勘違いがでることがあるのか?不明

不可思議な体験だった
やれやれ

November 30, 2013

アルバム

ずっと長い間の懸案だったアルバムの整理を開始した。
膨大な画像データが、さまざまな思い出とともにそこにある。

開始してすぐに、これがいかに大変な作業なのか判った。
今までのアルバムを整理して、裁断してダウンサイズしてから、タグを付けて
PDFファイルにしたものをデータベースにする。

今日はあの大きなアルバムをバラして
作業のスキャナーのテストをするだけで精一杯だった。

というかかなり体力の必要な事が判った。
アルバムって重いし、かさばる。
断捨離して、かなりスッキリしそうだ(現在進行形)

数年前に、僕と姉の子供の頃の写真が
母親が家の中を整理する時に出てきた。
母にとっては懐かしい写真でも僕らにとっては
特に思い入れのあるものではなかった。

自分の記憶が、そもそもない頃のことなので、
母が持っておきたいものだけで十分だった。
懐かしいという感覚は
意外なほど持てないものなのだ

結局、残されている貴重な画像を
できるだけ取り込んでおこうと
意気込んで始めたけれど、実際にはポイントとなるものを
押さえていれば、それだけで十分で、
むしろそのほうがいいのかな?と。

今回の子どもたちの写真にも同じような事がいえる。
アーカイブは必須なんだろうな
見る人のためにも

子供の頃の写真は親(あるいは爺婆)のために
撮っておくものだと再認識した。

それに、現代の子どもたちは、好むと好まざるに関わらず、生まれた時から様々なメディアで記録されているので、写真と動画や音声に関する敷居が完全になくなっている。
今後は更に進化し多様化するのだろうな〜。


宝くじ

 宝くじ
所詮、自分以外のことは「ひとごと」なのだ。
不思議なもので自分だけは「特別」だと思っている。
というか、皆そうやってバランスをとっている。

当たる可能性は冷静に考えれば限りなくゼロなのに、
「もし当たったら」と「夢を見る」
「もし当たったら、どうしよう?」と考えるのだ。
当選確率はきわめて低いことをわざと見ないようにしている

このささやかな「幸せ感覚」

10枚買って1枚あたるのが「ふつう」で10分の1 (10%) 300円 
100分の1(1%) 3000円 当たる率が100分の1

1等5億円は、たしかに一人には当たる。
しかし、その倍率は100万分の1すなわち、0.00001%

Good luck!

この「宝くじシミュレーター」の当たる確率などは以下のようになっています。 2013年の「年末ジャンボ 宝くじ」 (発売期間:2013年11月22日[金] ~ 2013年12月20日[金]、抽選日:2013年12月31日[火]) に近い感じになっていると思います。
等級当選金額当選条件当たる割合当たる確率100期待値
1等5億円組2ケタと
6ケタ
1,000万分の10.00001%50円
1等の
前後賞
1億円1等の
同組前後
500万分の10.00002%20円
1等の
組違い賞
10万円1等の
組違い
約10万分の10.00099%約1円
2等100万円組下1ケタと
6ケタを3本
100万分の3約0.000333%3円
3等3,000円各組共通
下2ケタ
100分の11%30円
4等300円各組共通
下1ケタ
10分の110%30円
特別賞5万円各組共通
下4ケタを3本
1万分の3約0.0333%15円

払戻率:約49.66333% 

November 25, 2013

りみっとさんの「ぐうたら防備録」

毎回のライブの詳細な記録を作ってくれる「りみっと」さんが、また素晴らしいレポートを作ってくれました。いつもありがとうございます!

ハックルベリーフィン1972ライブ 飛翔〜信じるものがあるのなら


http://gu-tara-bibo-roku.blogspot.jp/2013/11/1972.html

November 24, 2013

余韻に浸ってます

昨日は多くの方々にお集まり頂き、有難うございました。かぜ耕士さん初め、多くの皆さんにご来場いただき有難うございました。あれほど元気にステージに立てるとは正直思っていませんでした。まだ夢の中の出来事のようで実感が伴いません。また、多くの方々の温かい励ましの言葉を頂き、有難うございました。その場で皆さんと十分話すことも出来ず本当に本当に失礼しました。
取り急ぎ御礼まで。まだ余韻に浸ってます。

追伸:改めて書くのも照れますが、相方の篠根丈二くんとの出会いを感謝します。初めて中学1年で出会ってから、今までのことを思い出してライブ中3回泣きそうになりました。

November 21, 2013

エゴイズムについて

自分を抑えて周囲と協調することを良しとする文化がある
和を持って尊しとなす
無私
献身

私なんか
僕なんかと
自分を卑下することで
群れから外れるリスクを低くして

リスクの
傷を舐めあう
「差をつけない」
「同質性の社会」を
是とする日本

謙譲の美徳?
でも負けて言い訳をする
失敗して言い訳をする
日本人の精神性の脆弱な所と云われる

一方で

強烈な自己で自分を支える
個の力、自我の力
それがエゴイズム

つい最近まで、自己主張することを
エゴイズムとして日本では
協調性のない「悪い(とまでは言わないまでも良くない)モデル」
として存在していたのだ

でも時代は変わった
個性として伸ばす方向性に
異種を認める許容が広がった

みんな人に褒められたい
皆認められたい
注目を集めたい
誰よりも「自分」中心

ナルシストとエゴイストは同根なのだ

いい想いがしたい
特別扱いしてもらいたい
賞賛を浴びたい

賞賛を浴びている自分に
さらに高揚する
ナルシスト

自己の行動にカタルシスを感じる
ナルシストで
エゴイストの時代が
当分続くのだろう

今はそんな政治家や政治屋、評論家ばかりに目がいく。
要はバランスなんだろうけど、どうも
お行儀の悪さが目につく気がする

November 20, 2013

ad hoc な情報

大切な患者さんの情報をいかに
スムーズにシェアできるかどうか

紹介する側の情報
患者の属性
名前、性、生年月日、住所、その他の属性(紹介側の診察番号など)
主訴
既往歴
臨床経過
(箇条書きで時系列の問題リストが望ましい)
その他の情報(リファレンス、参照先)
各種の画像
各種検査のデータのサマリー

せいぜい30秒でプレゼンできる内容が望ましい。
それで大体その患者のことは把握できる。

臨床の経験値の高い人(同士)のものは簡潔で無駄がない。
未熟なものほど冗長でポイントが曖昧な事が多い。
プレゼンを見れば実力がわかる。

医療のプロとしての
的確な情報のやりとりはもちろん必須なのだが、
誰から紹介されたか?(紹介するのか?)
どんな状況で紹介されたか?
前もって伝えるべき特殊な問題はなかったのか?などの
(行間の)ad hocな情報が大切だったりする。

お互いの信頼感ある連携関係にある
医師同士は、電話一本だけで十分に
コミュニケーションがとれるはずなのだ。

あとは双方の優秀な事務方に任せればいい。
それが医療連携の理想形だと思う。

November 19, 2013

水は低い方に流れる

関西のホテルの偽装問題、誤表示(?)の問題
どう取り繕っても、許される事ではない。
信頼を受けるまでには何年何十年もかかるが、失うのは一瞬。
かなり根が深い

「ま、いっか」という甘え
皆で誤摩化せば怖くないという意識
「この程度なら」という甘え
どんどん低くなる敷居

水は低い方に流れる

日本という国の
さまざまな組織の持っていた
矜持はどこにいったのか?

一度、箍が外れてしまったシステムを
再構築する必要がある
今までの「善意」と「良識」が
アタリマエだった世界には
戻れない

今、日本でどこかの店に入って
出てきた水が汚染されているリスクはほとんどないと、
「みんな信じている」けれど、これって本当に大丈夫?

お店で出てくる水が汚染されていない保証なんてない。
世界的に見れば、自己責任が当たりまえ
日本が特別なんだろう

逆に安全がアタリマエになっている日本の「ひ弱さ」問題はないのか?
人間ってそんなに弱いものではないんだけどな。

November 18, 2013

この多忙が嬉しい

本日がDay 0で明朝6時より第20クールの予定。思えば遠くに来たもんだ。ということで、朝から東大医科研。幸いガンマナイフ後は順調とのこと。有り難い。
いつもの事だが座って待っていておしりが痛くなった。
臀筋が薄くなってるみたいだ。

終了後、一旦部屋に戻ったら、疲れが出たのか2時間近く爆睡。

午後から会合人事関連の会議、面談など
16時半より院内会議
終了後1時間、また爆睡

打ち合わせ3件
この忙しさは嬉しい忙しさだ。
緊急入院1件、予定入院1件
FBってすごい(意味不明かw)

18時半にじょうじ君&ともPが病室へ。ライブ打ち合わせ。
根津さんも合流。いつものメンバー。
18ー20時 スタジオ練習
今日が本番前の最後の練習だったが
さすがに疲れてへろへろ。
あとは本番まで自主トレ(笑)

やはり手と指が動かない
仕方がないけれど。

へとへと。でも嬉しい疲れ。
仲間の優しさに感謝

エンサイクロペディア

昭和40年頃の流行だったんだろう
オヤジと爺さんが、突然百科事典を買ってくれる、という。
エンサイクロペディア、科学大辞典、イラストレイデッドの3分冊になってたと思う。

アメリカの家庭では一家に一冊あるのが普通です。。。
これからの子供達は英語だ
英語を使いこなさなくてはいけない
各家庭に一つは百科事典があるのが常識 etc...

見栄もあっただろう
その後アメリカに行ってそれが真っ赤な嘘であることを知った。
販売員の華麗なセールストークだったのだ。

そこまで完璧に騙されたのには、
戦前の親世代の「知の欠乏」体験が大きい

「配本」(不思議な日本特有の制度だ)され、
2年位かかって我が家には立派な本が鎮座することになった。
どう考えてみても日本の居間には不釣り合いな立派な装丁
親達が読みこなせているとは到底思えない

大量に入ってきたアメリカの書物は、
僕にとって新鮮だった

アメリカの印刷の匂いが大好きだった
科学系
イラスト中心 日本にはないビジュアル
デザインと色彩を
うっとりと眺めていた
英語を読み始めるのは自然な事だった

日本特有の「配本」というシステムも大きい
雑誌の定期購読が普通だったし、
本は「つけ」で買えた
蔵書ということも
一般大衆が本を所有する意味がこの頃から変化した

その後の変化を考えると、
「本の文化」の成長した、もっともいい時期だった気がする。

November 17, 2013

暴れん将軍の思春期

FBで中学校の同期会が行われたことが書いてあった。
大盛況で皆楽しそうな様子が、FBにアップしてあった。

中学の同期会には最近はなかなか出席する機会がなく、失礼していた事も大きいのだが、今回の写真をみて驚いた。実は誰だかわからないのだ。
申し訳ないけれど、懐かしいという感情がわかないのだ。
というのは、朧げに記憶がある人がいても、誰だかわからない。
街で出会ってもたぶん誰だかわからないだろうし、
あれだけクラス会に出席する人がいても、ほとんどわからないのだ

懐かしいという感情は、後から想い出とともに
想起するものかもしれないけれど、
唖然としたのが、この時期(13歳〜15歳)の記憶があまりないのだ。
僕が特別周囲の人と付き合いが悪かった訳でもなく、むしろ社交的だったと思う。
親友のじょうじ君とは毎日犬コロみたいに遊んでいた。
いろんな事があったはずだし、写真やアルバムをみれば思いだす事も多いのだけど、
でもヴィヴィドな記憶が高校時代にくらべると極端に少ない。

そのくらい当時の僕は周りを見ていなかったってことなのか?

様々な経験を通して
自分の成長を戸惑いととともに
自覚する時期だった

毎日、わーわーきゃーきゃー走り回っていたはずだし、
勉強だって普通にしてたんだろう。
高校受験では早稲田に受かった(結局辞退して日比谷に行った)。
でも、大学で受験した事とか、発表の後に石神井公園(だっけ?)の駅にむかって歩いた事は記憶にあるけれど、誰とどこを歩いてどんな話をしたのか、その前後は全く憶えていない。つまり、当時としては「区切り」と記憶されるはずの出来事も曖昧な記憶なのだ。

なぜなんだろう?
高校になると急に鮮明になる記憶と対照的に
記憶が曖昧になっている。

あのころ何を考え
何を感じ
何をしていたんだろう?

その時期特有の
異様に過敏な暴れん坊将軍を
どう取り扱うべきか
「戸惑っていた」のは確かだけれど、
「悩んで」はいなかったな(笑)。

自尊心と劣等感

誰にでも自尊心があり、
自分が自分であり続ける為の「誇り」をもっている
生きている、生きてきた事の証

だれでも自分が一番大切
皆が自分を大切にする事は
自分以外の人をも大切にする事だ

つまり自尊心と劣等感は表裏一体なのだ

セルフイメージに
拘るのも大切な事があるが
人にどう見られていることばかり
気にするのは愚だ

今の時代、自分が常に
モニターされてていないと安心できない感覚が
あるのではないか?

ネット上の孤独感

一方でリアルの世界では
自我が若く未熟な時期には
こうあって欲しい
こんなふうに人から見られたいと
理想と現実の乖離に
悩む

傷や傷跡
障害
変形
異常 etc

先天的なもの
後天的なもの

ちんちんが大きいとか小さいとか
おっぱいの形だどうだとか
美醜の判断なんてどんどん変化するもので
普遍的価値のあるものではないことが
理解できない(でも、若いってそういう事だ)。

我々外科には様々な相談が来る。

自分が気にしているほど
他人は気にしていないし
見えていないものなのだけれど。

でも極言すれば
皆、自分以外のことなんて
実は全く関係ないって思っている

日本のチカラ

斜に構えて
皮肉に
ニヒルに
シニカルに
モノを見るひとがいる

否定、とは異なる
消極的反対?反対?
非支持

はっきりとモノをいわない
意見を「保留」している
「高みの見物」

「おとな」というのはこういうものかな?と思っていた。

「政治の世界」なんて「わからない」とか
「自分とは関係ない」とか

選挙で投票に行かずにあれこれ云うのは問題外
というより、非常識だという認識のない日本という国
平和ボケから目覚める日がくるんだろうか?

八重の桜とか見ていると、近代日本の歴史には
底辺から底上げをしてゆく社会の「向上心」や「勉強や努力を厭わない」態度がある。

社会が「健気」なのだ。
このベクトルが日本のチカラだと思う。



日本の底力

「インテリ」や「評論家」が
エラそうにしているのはどこの国も同じだ。

社会を動かしているのは、その周囲にいる
サイレントマジョリティの存在で、
その総意がコモンセンスであり「日本」なのだ。

今こそ
「普通の大人が、
「常識的な事を」
「主張し」
言葉にすることの
重要性を感じる

根底が動いている実感がある

あまりにも
行儀の悪い
連中には
ほとほと嫌気がさしている
大人達は多い

長く続いた不況
未曾有の大震災
原発問題
日本の政治の流れは
安倍で変った
この20年間」
ずっと変れなかった政治が
動いたのは事実だ

明るさの見えてこない未来に
一縷の光を点すのは
政治しかない

問題山積だけれど
立ち止まれないのだから
皆で前を向いて進むしかない

日本の底力を信じよう

October 31, 2013

ハックルベリーフィン1972(第3報)

ハックルベリーフィン1972ライブ(第3報)
飛翔〜信じるものがあるのなら


日時:2013年11月23日(勤労感謝の休日)
開場:14:00
開演:14:30

入場料:3000円(予定)Food(立食、BBQ)
アイリッシュパブ。ドリンク類はcash on deliveryです
O'Carorans オ カロランズ
http://tabelog.com/tokyo/A1317/A131703/13017692/
自由ヶ丘から徒歩7分

Location/Map
O'Carorans

出演:
ハックルベリーフィン1972

イートルーズ
岩田バンド
SSU
CC Takeda et al.

お陰様で久しぶりのライブを企画するに至り、
万感胸に迫る思いです。
全てのご縁に感謝し、
皆さんと共に、パーティライブを楽しみたいと思います。
懐かしい曲もたくさん演ります。

乞うご期待!

なお、前売り予約販売はありません
宜しくお願いします。

marc , joji


ハックルベリーフィン1972

October 30, 2013

大冒険外出の午後

ガンマナイフ手術後、お陰様で体調もよく安定した経過。先週までの19クールのテモダールも無事終了。一応、術後1ヶ月は単独外出は避けて安静にしていたけれど、今日意を決して一人で外出してみることにした。わくわく。でも情けないくらい下肢の筋力が落ちていて、ふらふらヨタヨタと歩いてる。ま、歩けるだけでよしとしよう。

さて今日のthings to do を整理する。
出発前に考えが纏まらないのでメモをする。
え〜っと、今日の一番の外出の目的は、眼鏡の修理。
それから神保町まで移動して共栄堂に行く事

ひさしぶりの大井町線で二子玉川のSCへ。壊れて変形した古いものをイワキに持っていく。古いものなのに無料でちゃんとメインテナンスしてくれるのが素晴らしい。さらに相談したら持っていった予備の眼鏡の点検もしてくれて、耳に当たって痛かった部分を直してくれた。別のお店で買ったのものなのに、かなり時間をかけて修理してもらい(しかも無料)恐縮する。さすがイワキは違う、と感心する。

二子玉川のユニクロに寄りセールのジャージを買ってから、田園都市線で神保町へ。僕のメイン路線。ホームだねえ。随分ひさしぶりの感覚。せっかく電車で移動してリバビリするなら、ホームの神保町界隈まで行きたかったのだ。いつもは何てこのないこの移動時間の長さに驚く。電車で移動するだけなのに、電車で立っているだけでこんなに体力を使うなんて。。。

地下鉄の駅はさすがに人が多くて、ど〜んと疲れた。元気な時には、人の波をひょいひょいと乗り越え流れにまかせて動き回っていたのに、今の僕にとって、動く事全てが重くなっているようだ。下肢の筋力が落ちているのを実感。今からでも動かねば、と思う。

神保町の街。中学生の頃から馴染んだこの街の空気。そこにいられることが、今しみじみ嬉しい。3時間近く街に居られた。さすがに疲れたけど自信になった。今日はわざと大回りして移動したけれど、今度はダイレクトに神保町に行ってみよう。

ということで、大好きな「共栄堂」のスマトラカレー(梅田先生はビーフ、僕はチキン)をテイクアウト。やはり美味しい。大満足でした。

October 29, 2013

昔のスパイ

僕らの世代のヒーローといえば、
映画やテレビの「スパイもの」だ。

大好きだったなあ。
大人の世界への淡い憧れ

007
ナポレオンソロ
スパイ大作戦 etc

いわゆる「アクション活劇」を
毎回わくわくしながら観ていた
終わった瞬間から次回が待ち遠しいくらいの
入れこみ方だった。
当時は他になかったし。

日本にないかっこよさ
オシャレな会話
お色気系にもドキドキした(かわいいもんだ)

我々男子は様々な技術を駆使した
「秘密兵器」が、大好きだった

時は流れて50年

今でもスパイものは、
あるにはあるけれど
似て異なるものになってる

昔だったら
鉄壁の金庫破りが定番だとすれば、
今はコンピューター上の
セキュリティの戦いなわけで。。。
昔みたいな「スパイ戦争」は
ありえない話になっている

今、僕らが日常普通に使っている
超小型のデジカメで写真を撮ったり
録画したり
ファイルのやり取りをしたり
ネット上で盗み取ってしまえばいいわけで..

あの頃夢みたいだった技術が
進んで
もうスパイが自ら写真を撮ったり
盗聴する必要なんてないんだろう。

従来の「スパイ」なんて
とうの昔に引退しているんだろう。

かつてのスパイ達は、スイスの古城あたりで
優雅にひっそりで引退していればいいけれど。。。

今の時代そんなに甘くないんだろうな。。。
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